親方との出会いは平成7年、栃木の先輩のお寺だった。
完成を間近に控えた現場で青年僧有志が集い、宮大工建築を学んだ。
とは言っても20代、30代の若い僧侶にとって「宮大工に仕事を依頼することなどあり得ない」という非現実の空気につつまれたひとときであった。
これといって質問が飛び交うでなし、親方の眼は「もう終わりか」と我々を見つめた。
そこでちょっとした質問をした私はとんでもない無礼な失言をぶつけてしまう。その場の空気は凍りつき、親方は席を立った。
そしてしばらくして、白木で出来た上品な経机を御披露下さった。「これは西岡棟梁の為に作ったもんだ。小さな素朴な物でもちゃんと作れば美しいべ」とポツリ。それから、文通(?)私の一方的な手紙のやり取りが始まった。
最初に仕事を依頼しに出向いたのが確か29歳だっと思う。「若けぇべ」と親方は苦笑いなされた。
契約を交わした時、駅までお送りする車中「今に見ておけ。建物を見ただけでみんな頭を下げるような物つくるから。その後、坊さんがしっかり拝んで本物にしろ」と。
私の年齢は親方にお願いする施主というよりは、お弟子さんに近い年齢。工事の進め方や業者間のやりとりは未熟過ぎて、ご心配ばかりおかけした。
そしていつしか「棟梁」から、お弟子さんたちがつかう「親方」という呼び方をしていた。
親方とお話ししていて、よく登場する語句が一つある。それは「今」ということば。
「今、ちゃんとしておけば」「今からでも間に合う」「今すぐにやるべ」数えればキリがない。
「今」の積み重ねが全てであると、この大事業で学んだ。そして、我が祖師・弘法大師空海さまも「今」を常に語っておられることに、ふと気付いた。