2018/02/03『邪魔にならない同行』

Bykozoji

2018/02/03『邪魔にならない同行』

1週間の星供養が成満(じょうまん=無事無魔に成し遂げて最高の功徳を得ること)いたしました。ここで確信を持てたことを今後、当寺の縁日に少しずつ説いて参ります。要点は以下の如く。※なおメールなどでのお問い合わせには一切お答えいたしませんのであらかじめご了承ください。

1)今年は新しいチャレンジより、自分にとって一番スタンダードなことをもっと密に。
2)何事も完ぺきにサラリと行う。
3)見落としている自身の欠点を繰り返しの修練で見つけ出す。
4)慣れ親しんでいるモノを真逆から組み立ててみる。
5)偏見で絶望しない。最悪の事態を騒がれている中で光明を探す。

さて、今朝の法話です。行者の心得について少し考えてみましょう。

初心の行者は師匠の見様見真似で少しでも近づこうと精進します。それが師弟関係というものです。師匠を持たぬ者や、頼りない師の元で学んだ者は、新たに目指す人を見つけてその人に付いて修行をします。

この両者は一見同じようであって、実はまったく違う立ち位置です。弟子は師匠の「心を読むこと」に専念して成長します。師匠を持たず同行を極めようとする者は、師(本来の師匠ではない)から「技を盗むこと」に没頭します。本人にはそのつもりはなくても、その立ち振る舞いは最終的に大きく現れてきます。これはまるで卓上で2本の線を並行に描いたつもりでも、数㎜の誤差をどんどん延長し、数㎞先は驚くほどの差が開くが如くです。

これは残念ながら当の本人は気付きません。苦言すら槍や矛のように受け止めて牙をむいて反論します。でもそこで気付かないと一生間違ったことを身につけてしまいます。正式な弟子は「うちに成果」を求め、愚者は「外に結果」を求めます。コレをやった、アレができたと騒ぎます。こと、密教の世界では、目に見えないモノや信じがたい現象を『見えた!感じた!」と騒ぎ出します。

私たちは日常「邪魔」という言葉を用います。この言葉こそ修行における戒めの一語です。師の影踏まず……と申しますが、修行は陰徳と互いの「邪魔」であってはなりません。世の中でしくじっている者はすべて「邪魔」であるか否かという基準で成り立っています。根本をはき違えると覚者(悟りを開いた者)が遠のき、邪魔外道と成り下がるのです。その残酷さは、せっかく行を積んでいても起こりうるところです。

少し前に「KY=空気を読めない人」という言葉が流行りました。行者の先輩たちと「拝む世界はこれを露骨に笑えないね」と苦笑したことがあります。師の心を読めず、どんどん前に出てとんでもない空気の中で「悟った」と勘違いしてしまう。こんな残念なことはありません。いま歩んでいる道は前者か、後者か? この節分を機に再確認してみることをオススメします。