Monthly Archives:2月 2018

Byyomairi

◎こども寺子屋 (平成30年3月〜5月の予定)

こうぞうじ・こども寺子屋
(平成30年3月〜5月の予定)

〇3月10日(土)朝7時〜 開校
〇3月24日(土)朝7時〜 開校

〇4月14日(日)朝7時〜 開校
× 4月28日(土)お休み

〇5月12日(土)朝7時〜 開校
〇5月26日(土)朝7時〜 開校

※5月27日(日)昼2時〜 施薬祭

Byyomairi

2018/02/19『漢字は感字』

今朝の日記は「法話」という話芸の探求についてです。すこし法話とはかけ離れてしまいますが、日常もっとも手軽に発している「言葉・文章」の意識をかえて「相手に伝えること」を磨いてみましょう。
 
私は若い僧侶に法話を教えるとき、頭の中で想い描いた映像を口というプロジェクターで、相手の心に投写するように説きます。自分が描けていないものを相手に伝えることは不可能です。ピンぼけでも、低画質でも伝わりません。また逆に情報過多で混乱させてしまうこともしばしばです。
 
昨夜、劇団四季の成功を紹介する番組がありました。そのシステムはただただ驚きの一語でしたが、中でも布教師として参考になったのが「折れ」という台詞の注釈でした。台本に書かれた台詞を役者さんたちがそれぞれ工夫して「言葉に生命を吹き込む」作業です。台詞の区切りに【感情】を記入していき、その感情によって台詞に表情をつけていくのです。中には、その記入が台詞と同量になる場合もあって、倍の量を覚えなくてはならないという状況になるそうですが、そのぶん心象を映像として覚えていくのでスッと入りやすくなるのだそうです。
 
話は変わりますが、さいきん読んだ本で面白かったのは「漫画原作の書き方」を説いた一冊でした。漫画家ではなく、漫画の原作者が如何に文章で漫画家や編集者にストーリーを面白く伝えるのか。キャラクタの個性を表現するのか。そのことに特化したハウツー本です。法話には、なかなかベストなテキストがありません。よく落語家やアナウンサーが出した書籍を勧められますが、技術論はしっかりしていても感情を伝えるところまでを解説しているものは皆無です。
 
この本の中に登場する「漢字は感字」という言葉が印象的でした。漢字の読みを響きとして捉えて、どの文字がその状況にベストマッチしているかを考える。例えば「はしる」という台詞にどれだけのスピード化や危機感を伝えたいのか。それは「走る」より「疾る」であるとか。漫画ならではの文字を絵として表現に触れています。
 
漫画はもともと「絵に台詞を入れたもの」です。ということは、絵で文章以上をすでに語っているわけで、それをより深く表現する台詞で完結するのです。法話も頭に描く漫画です。そのあたりを理解して語りの中に取り入れることが出来れば、シンプルに相手の脳裏に投影できる『語り』として完成していくことでしょう。
 
宣伝ではありませんが、この本は漫画に関わる人に限らず、何かを描く人、人前でお話をする人、感情を伝えるのがヘタクソな人にはオススメの一冊です。
Byyomairi

2018/02/14『ことばのお守り』

私の法話集『ことばのお守り』が各誌で書評されております。法話ではありませんが、さまざまな切り口で内容を紹介されていますので、少しずつアップさせて頂きます。今回は中外日報さんの記事です。

なおネット販売でこちらからどうぞ→ https://mihotoke.stores.jp/

『ことばのお守り 天野こうゆう著』

○見事な対機説法〜書物通し体感〜

高野山本山布教師として活躍する著者の法話集。「欲を精製してエネルギーとせよ」「多用充実」など味わい深い言葉が全編に散りばめられている。

3章構成。「読む法話」は寺報『高蔵寺だより 瑠璃光』とブログなどインターネットで発言した法話、「聴く法話」は地元FM局のラジオ番組でのトーク、「観る法話」は布教師として行った本山、地方寺院、イベント会場などでの法話を収める。表紙絵と挿絵も著者が手掛けた。

本書を味読して思うのは「対機説法」の見事さだ。発言する媒体、時と場所、聴衆に応じた語り口は、著者の布教師としての力量を物語る。その力を一冊の書物を通し体感させることに成功した編集・構成の巧みさもまた本書の価値を高めている。

著者はコラムで「ラジオ法話の魅力」を説く。テレビよりラジオの方が「心に残る、心に沁みる」として今後より力を注ぐという。

インターネットでラジオを聴く人が増え、昨今ラジオが再評価されている。2002年にインターネットのメールマガジンで法話を配信するなど、時代を先取りする取り組みで注目を集めてきた著者が、今後どのように法話の可能性を広げ、人々の心をつかんでいくのか期待される。本体価格1,200円、高野山出版社(電話0736・56・2724)刊。

□中外日報 http://www.chugainippoh.co.jp/

Bykozoji

2018/02/04『前の一枚を超える』

この歳(今年で50歳を迎える)になって気づくことがたくさんあり毎日が新鮮でなりません。
 
この節分に向けて今年もたくさんの木札を書きました。もう何十年もやっているいつもの作業です。20歳のころ、高野山で習った書き順は、まず滲みを防止するために薄ら白いチョークで目止めをして、そこに鉛筆で中心線を引く。呼吸を整えてから、先ず先頭の梵字から心を込めて書いていく。そして呼吸を止めずゆったりとした気持ちで一気に残りの文言を書き終え、水引でグッと締めて完成……こんな流れを学びました。
 
今でもこの書き順は馴染んでいます。しかし徐々にチョークも鉛筆線もいらなくなり、どんどんスラスラ書けるようになっていきました。それでも去年の木札をみるとなんとなく納得がいかない。書きためて置いた物はやっぱり気にくわないので新たに申込み分を書く作業が延々続きます。
 
上手に書きたい……この一念のくせに「早く終えたい」という気持ちが併走してきます。そんな時はあえてスローペースでジックリ書いてみます。筆をゆっくり運びすぎると今度は滲みが出てきます。するとまた速度を上げていきます。文字の収めも慣れてくるとクセがキツくなってきます。ハネやはらいは「どや!」みたいな大袈裟な個性が顔を出す。書いた瞬間は快感が込み上げますが、後で見るとゾッとするくらい嫌な主張をしている。リズムと勢い、丁寧さと速度、略字と本字……たった一枚の木札にさまざまテーマが凝縮されています。しかもそれは人手に渡るのですから、すべてが清書なのです。
 
今年、書きながら気づいたこと……それは「前の一枚を超える」という意識です。上手く書くのは当たり前、そのレベルをキープしながら何かが不足している。それはモチベーションだと気づいたのです。例えば100枚をすべて納得のいくパーフェクトな仕上がりにしようするから、気の遠くなるような想いで苦痛と闘いながらチャラチャラと書いてしまう。
 
「千里の道も一歩から」ではありませんが、とにかく前の一枚より上を目指す。技術的な向上が難しいと感じたら、より丁寧に筆を運んでみる。この意識で今年は大きく変わりました。一日に決めた数を書き終えて、最初と最後に一枚を比べてみるとどちらも誤差はなく、現段階で納得のいく仕上がりとなっていました。
 
目指すという感覚も「距離と密度」を極めれば過去の自分を超えられる。それは日常のちょっとした作業の中で見出せる宝石なのだと思います。
 
【ご案内】2月19日(月)に福岡で行われる、第2回風ふく寺子屋『日常生活に役立つ空海さんのおしえ』ではこのような内容をさらにディープに説いていきます。もちろん当寺の縁日(毎月7日と27日)でもしっかりと説いていきますので、ぜひ一度お参りください、